三重県書道連盟

投稿者: wpSanshoren2021

三重県書道連盟のシンボルマークが決定

昨年末、三重県書道連盟のシンボルマークを募集いたしましたところ、191点もの応募がありました。

1月23日に本連盟役員による審査の結果、亀山高校3年森本汐音さんの作品に決定いたしました。

以下、森本さんの制作意図です。

『このデザインは、筆と硯をモチーフにしています。筆の持ち手の部分が硯となっています。硯には三重県の「三」という字を取り入れました。筆が8という形を描くようなデザインです。8という数字は、漢字で書くと「八」となります。「八」は、末広がりとよばれ、とても縁起が良く、発展・繁栄・繁盛を意味します。書道芸術の更なる発展・振興を表わすことができたら良いなと思いデザインしました』

 

審査では、どのマークも個性・思いが光る作品であり何度も感嘆の声があがりました。多数の応募まことにありがとうございました。

なお、このシンボルマークは2月27日運営委員会にて承認されました。今後、著作権その他一切の権利は三重県書道連盟に帰属します。

 

三重の看板物語②

史跡旧崇広堂  伊賀市上野丸之内

津・藤堂藩が伊賀、大和、山城の領地に住む藩士の子弟を教育するため、十代藤堂高兌(たかさわ)が文政四年(1821)に「有造館」の姉妹校として開設した。「有造館」が儒学中心であったのに対して、崇廣堂は作詩・作文など文学に重心が置かれた。高兌は久居藩主を経て文化3年津藩主となった。倹約、殖産で藩政の刷新を図り、有造館をつくるなど中興の祖といわれている。

明治38年から昭和58年まで図書館として使われた。昭和5年国史跡に指定される。現在残っている藩校は少なく、近畿東海地方では唯一の史跡である。一藩で二カ所に設けられたのは水戸(弘道館)と藤堂の二藩のみである

扁額「崇廣堂」は、交友のあった会津米沢藩の上杉治憲(鷹山)に懇請して書いてもらったもの。この頃治憲は70歳、隠居していたので会うことはなかったと思われるが、名君と言われている鷹山を尊敬して手を尽くして揮毫を依頼したのであろう。

「崇廣」は建学精神のシンボルで、出典は書経。「功の崇期はこれ志、業の広きはこれ勤」からとっている。

 

上杉鷹山

江戸中期の米沢九代藩主。9歳の時、九州の小藩・高鍋藩から上杉家に養子に入る。16歳で藩主となり、質素倹約と産業の開発、厳正と寛大、学問の導入により藩政改革を実施した名君。(泉)

 

第69回三重県書道連盟

上記の期日に第69回三重県書道連盟展が開催されました。
漢字・仮名・篆刻・調和体と合計375点の作品が一堂に会しました。

詳しくは三重県書道連盟会員・公募展に記載しています。

「書道」を登録無形文化財として登録

 

文化庁の報道によると、令和3年10月15日(金)に開催された国の文化審議会にて、「書道」を登録無形文化財として登録するよう文部科学大臣に答申したと発表されました。

関連資料:https://www3.nhk.or.jp

書道は、漢字の伝来以来中国の優れた書から書法を吸収し技法を工夫していく中で、平安中期以降、和様の書が生まれ和歌文化の隆盛とともに仮名の書が発展しました。さらに江戸時代になると伝統的な書法が庶民層にまで受容されるようになりました。これらは現代における優れた書の表現にも伝統的に育まれてきた美意識を見てとることができます。すなわち書道は、生活文化に係る歴史上の意義を有するとともに、芸術上の価値が高いものであります。
誠におめでとうございます。ご担当された関係各位のご尽力の賜であり、我々書道に携わる者には喜ばしい限りです。益々書道が盛んになって、次世代へ繋がっていくことを期待します。
また、このことは日本書道をユネスコの無形文化遺産に登録しようとする日本の書道界の運動の中で、大きな励みになったことと思います。(三重県書道連盟運営委員長)

三重の看板物語①

看板は半永久的な美術館といわれている。

三重県にも多くの筆書き名品があり紹介する。

まずは「あ」から始まる・伊勢の名物「赤福」。

創業は三百年ほど前の宝永4年、屋号「赤福」は「赤心慶福」に由来し、千利休の流れを汲む茶の宗匠の名づけといわれている。

本店の大きな看板は、中興の祖六代目濱田ちゑが明治20年、創業180年を記念して作ったもので、地元名士矢土錦山(やつち きんざん)に揮毫を依頼した。矢土錦山は漢詩・漢文の大家で伊藤博文の師、また政策ブレーンとして仕え、衆議院議員にもなった人物。

「赤福」を象徴するこの看板は、昔も今も変わらず伊勢参りの旅人を見守り続けている。(泉)