三重県書道連盟

投稿者: wpSanshoren2021

第71回・三重県書道連盟会員・公募展 ~審査結果~

8月9日、三重県総合文化センターにて第71回三重県書道連盟会員・公募展の審査が行われました。

【無鑑査作品より】

特別賞・天野獅龕(漢字)・岩木翠泉(漢字)・上泉煌蘭(漢字)・川崎葉泉(漢字)・神田春瑛(漢字)

・柴田桂苑(漢字)・髙森良鴦(漢字)・竹浪美彭(漢字)・辻翠松(漢字)・堀菁坡(漢字)・山路節麗(漢字)

・水谷玉汀(仮名)

・安藤佑珠(調和体)・伊藤翔佳(調和体)・窪田嬉邑(調和体)・高橋慶水(調和体)

・松井弘琳(調和体)・百地拓窓(調和体)

・青木碩山(篆刻)

 

【会員・公募作品より】

知事賞      ・小島晶子(調和体)

三重県議会議長賞 ・谷川原ゆかり(仮名)

三重県教育委員会賞・伊藤里秀(漢字)

三重県文化振興事業団理事長賞・新保京香(漢字)・森田来(仮名)・鎌田花宵(調和体)・佐藤敬介(篆刻)

顧問賞      ・中村翠雲(漢字)

NHK津放送局賞   ・小松翠篁(調和体)

中日新聞社賞       ・谷鴻風(漢字)・廣野陽風(漢字)・稲森政代(仮名)・伊藤信山(調和体)・若林弘樹(篆刻)

三重テレビ賞   ・小山芳泉(漢字)・鈴木登霞(漢字)・小川さな江(調和体)・藤堂弘風(調和体)・吉田妃碩(篆刻)

三重県書道連盟賞 ・飯久保翠泉(漢字)・伊藤華凰(漢字)・井上亜耶(漢字)・鈴木佳泉(漢字)・中島茜坡(調和体)

・古川紅和(調和体)・西川山水(篆刻)

特選・新井彩湖(漢字)・池村卓峰(漢字)・伊藤谿石(漢字)・梅田楊華(漢字)・大江邑翠(漢字)

・小掠雄大(漢字)・黒須華扇(漢字)・澤田翠桂(漢字)・中村彩苑(漢字)・野中彩圓(漢字)

・日佐優華(漢字)・平生新星(漢字)・水谷容山(漢字)・宮田恭苑(漢字)・山本光慶(漢字)

・岡田節子(仮名)・奥田代子(仮名)・川口けい子・中村美香(仮名)・野嶋周子(仮名)

・稲葉華心(調和体)・猪上美粹(調和体)・上島史翠(調和体)・江藤千穂(調和体)・岡翔月(調和体)

・岡田抱月(調和体)・岡本京香(調和体)・川﨑聦鷲(調和体)・北川初代(調和体)・北出直子(調和体)

・久米萌園(調和体)・鈴木廣子(調和体)・仲野紫風(調和体)・林美香(調和体)・日の原山陽(調和体)

・寺本九齋(篆刻)・坂五碩(篆刻)・深浦聖樹(篆刻)・横井益子(篆刻)

 

【高校生作品より】
秀逸・倉島沙空(調和体)・柴垣結菜(漢字)・冨久真菜(仮名)・星野天(漢字)
佳作・橋本紬(調和体)・吉田理紗(漢字)

三重の看板物語⑤

和菓子  柳屋奉善「老伴」   松阪市中町

天正3年(1575)近江の国日野で蒲生氏郷公から砂糖を賜り、御用菓子司として開業。このころ安土城建設中で、義父信長公をお茶会に招くことを想定で、家宝にしていた硯( 中国の古い軒瓦)加工して型を取り最中(ふた無し)容器に羊羹を流しこみ、コウノトリ絵柄で古瓦」として売り出され、伊勢土産として全国的に知られるようになった。後に豪商三井家当主三井高敏氏により白楽天の詩の中から「老伴」と改めた。

「老伴」の文字は、津の書家市川塔南氏の揮毫。店内には商品名「老伴、越廼雪、桐葉山」などの書もある。塔南は篆隷が得意で、明治に28年第四回内国勧業博覧会で一等賞を獲得。県下に社号標や作品は頗る多い (泉)

三重県書道連盟会員募集!

三重県書道連盟は会員を募集しております。

令和5年度の三書連展に出品ご希望の方で現在未入会の場合は、6月30日までに入会申し込みと入金をしていただきますようお願いいたします。

三重の看板物語④

和菓子 かぶら煎餅本舗  桑名市南寺町

江戸時代松平定信が谷文晁にかぶらの絵を描かせた。菜根譚の故事に因み、節約勤勉を奨励させるべく将軍家に献上した桑名名産「かぶら盆」と京都の「かわら煎餅」をヒントに、明治の初め初代が「かぶら煎餅」を創業。戦後中断するも2代目が「かぶら最中」とともに名物にした。丸いかぶらは家庭円満、根のひげは子孫繁栄として喜ばれている。

看板の揮毫は数十年前、名古屋書道界の重鎮石田泉城氏(明治22~昭和46年)の筆。氏は長年教壇に立ち、多くの書家を育て酒豪としても有名で、中日新聞の題字揮毫者でもある。(泉)

 

書道展のお知らせ募集

この度、三重県書道連盟のカレンダーにて三書連会員の書道展情報を掲載できるようになりました。

掲載ご希望の方はお問い合わせに必要事項を記入の上、開催日時・場所・代表者を記載して送信ください。

ただし、掲載される展覧会情報は原則として三重県書道連盟会員が主催であることとさせていただきます。

三重の看板物語③

 

和菓子 花乃舎 桑名市

初代が、画僧「帆山花乃舎唯念」と茶の伴であったところから、店名はその名を借用した。

昭和41年12月、東京信濃町の遠州流家元の成趣庵に松永耳庵翁を招いた茶席があり、菓子の注文が花乃舎にあった。四代目水谷孟生さんが、新幹線で「蕎麦餅」を届けた。同席の松永美術館館長の田山方南氏の口添えで、水谷さんが紹介され、翁から「美味しい菓子じゃった」と笑顔。

すかさず「何か一筆」と「紙と墨」が用意され、翁が「花乃舎・耳庵九十二」と書かれた。印がないので田山氏、顔を「カオ カオ」(花押)と二つ叩いた。そうかそうかと、翁が花押を書き込んだ。現在は軸装(箱書き・田山方南)家宝とし、刻字したものが店内に掲げてある。

松永安左ェ門(耳庵)は壱岐生まれ、福沢桃介とともに事業をはじめ、電気、ガス、石炭事業などを経て東邦電力を設立。実業界を引退後、美術品収集と茶道三昧。戦後、九電力を主とした電力再編成に尽力。電力の鬼と称された。

田山方南は鈴鹿市生まれ、文部省に入省。国宝監査官を務める等文化財調査・保存に努めた。(泉)