三重県書道連盟

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三重の看板物語③

 

和菓子 花乃舎 桑名市

初代が、画僧「帆山花乃舎唯念」と茶の伴であったところから、店名はその名を借用した。

昭和41年12月、東京信濃町の遠州流家元の成趣庵に松永耳庵翁を招いた茶席があり、菓子の注文が花乃舎にあった。四代目水谷孟生さんが、新幹線で「蕎麦餅」を届けた。同席の松永美術館館長の田山方南氏の口添えで、水谷さんが紹介され、翁から「美味しい菓子じゃった」と笑顔。

すかさず「何か一筆」と「紙と墨」が用意され、翁が「花乃舎・耳庵九十二」と書かれた。印がないので田山氏、顔を「カオ カオ」(花押)と二つ叩いた。そうかそうかと、翁が花押を書き込んだ。現在は軸装(箱書き・田山方南)家宝とし、刻字したものが店内に掲げてある。

松永安左ェ門(耳庵)は壱岐生まれ、福沢桃介とともに事業をはじめ、電気、ガス、石炭事業などを経て東邦電力を設立。実業界を引退後、美術品収集と茶道三昧。戦後、九電力を主とした電力再編成に尽力。電力の鬼と称された。

田山方南は鈴鹿市生まれ、文部省に入省。国宝監査官を務める等文化財調査・保存に努めた。(泉)